1974-09-10 第73回国会 衆議院 逓信委員会 第2号
この点出納管理規程で局長が持って帰るわけにもいきませんし、当然余裕のある金は過超金として資金局に送り返さなければならないのですが、いまの制度ですと資金局から資金を調達をする、ないしは過超金を送還するときに一便しかかりにない、大体いなかの局はそういうものです。一便しかないのですが、それが集配が午後一時なら午後一時にその局に到達をする。
この点出納管理規程で局長が持って帰るわけにもいきませんし、当然余裕のある金は過超金として資金局に送り返さなければならないのですが、いまの制度ですと資金局から資金を調達をする、ないしは過超金を送還するときに一便しかかりにない、大体いなかの局はそういうものです。一便しかないのですが、それが集配が午後一時なら午後一時にその局に到達をする。
あしたの朝どのくらい余裕金を持っていればいいか見当がつくわけですが、さっき私が申し上げたのは、資金局からの取り集めの関係から申しますと、午後四時過ぎに資金局から来て過超金を持って帰ってくだされば、大体見当がつくのです。ところが早い局は十二時、午後一時、二時ごろまでに資金局からの集配が来るわけですね。そうすると、その時点で一銭もないように金を出してしまうわけにいかぬわけでしょう。
さらに、先ほどの応答の途中で、国税庁長官みずからが、これは自民党の資金局の問題であるから答弁は差し控えたい旨を答えている。そこで、総理の出席がなければ真実はつかめない、黒い霧は晴れない、こういうことで、実は私の質問を中断して春日さんに譲ったわけであります。 その後総理とお会いになった委員長、出席方要請の結果はどうなっておるか、ひとつ御報告を願いたいと思います。
経済局という字に変えたらどうか、資金局というように変えたらどうか、それから前のように資金運用の局にしてはどうか、最終的に私はこの法律案を出すときに考えましたのは、財政投融資局というふうに変えたらどうかという案をいろいろ出したわけですが、なかなか財政投融資だけにしぼられないということで、まあ理財ということはそのままにした。御承知の通商産業、通産省、こんなものだといま考えております。
でありますから、私も今度の大蔵省設置法の中で、できれば新しい立場に立って、大蔵省が金を出すのではなしに、国民の税金を預かっておりますから、海外投資資金局でもつくりたかったし、そういう意味で交渉してみたのですが、それは各省が反対して、なかなかむずかしくてだめだからということで、私はついに断念したわけでありますが、こういう問題に対しては、やはり前向きに、積極的に検討すべきでありまして、大蔵委員の皆さんの
お手元の履歴書で御承知のように、塚越君は、大学卒業後、大蔵省に入り、司税官、銀行検査官、大蔵事務官、預金部資金局書記官、国民貯蓄奨励局事務官、営繕管財局誤記官及び大蔵書記官を歴任、この間、本省及び外局の各課長を命ぜられましたが、昭和十七年六月、専売局理事に任ぜられ、東京地方専売局長となり、次いで、広島及び名古屋の各財務局長を経て、同二十年九月内蔵頭に任ぜられ、同二十三年四月皇室経済主管となり、同二十五年二月退官
お手元の履歴書で御承知のように塚越君は、大学卒業後大蔵省に入り、司税官として大分、長崎等の各税務署長に補せられた後、銀行検査官、大蔵事務官、預金部資金局書記官、国民貯蓄奨励局事務官、営繕管財局書記官及び大蔵書紀官を歴任、この間、本省及び外局の各課長を命ぜられましたが、昭和十七年六月専売局理事に任ぜられ東京地方専売局長となり、ついで広島及び名古屋の各財務局長を経て同二十年九月内蔵頭に任ぜられ同二十三年四月皇室経済主管
そこで大蔵省との話合いの結果を知事に申し上げましたところが、知事はそういうことはございません、絶対にひもつきでございます、資金局の方がそういうことをおつしやるならば私は対決してもよろしい、こういう答弁を知事はいたしております。従いまして今度の予算削減にあたりましては、やはり政府から何らかの指示があつたのではないか、こういうことを私は考えております。
預金部資金局と銀行局へ勤務しておりました。昭和十六年の三月に陸軍にとられまして、南支那派遣軍に入隊いたしまして、大東亜戦争が終るまで南支那におりまして、終戦後一時捕虜になりまして、跡始末をいたしまして、昭和二十一年の五月に久里浜で復員いたしました。二十一年の六月に大蔵省へ帰りまして、銀行局に勤務いたしました。
○藤田委員 あなたの方でかつて融資斡旋部というものがありましたが、これと資金局の関係はどういうふうになつておりますかお伺いしたい。
(拍手)中小金融のため、たとえば現在の郵便貯金の制限を撤廃し、郵便局を一つの国家資金局として、自由に郵便貯金を集めて、これを中小金融機関の資金に流すというような道も考えられると思うのであります。この際大蔵大臣の答弁を煩わしたいのであります。 政府は税制調査会なるものを設けられ、その調査会は先般答申案を公表いたしたのであります。
私どもは民間社会事業の資金の問題につきまして、資金造成の機関、民間社会事業の資金を心配いたしまする機関というものがこの社会福祉協議会の一部局であるのが至当であるか、いわゆる資金局というものが社会福祉協議会の一つの大きな仕事としてその中にあるべきが至当であるか、或いはこの社会福祉協議会とは離れて別にあるのが至当であるか、或いは共同募金委員会、共同募金委員会というのは社会福祉協議会の中に資金局のような形
その入りました大蔵省での職務は、税務署長、それから銀行局の課長、預金部資金局の課長、秘書課長、主計局の次長、それから給与局の課長もしました。それから、最近におきましては、東京の国税局長、日本銀行の政策委員、それから経済安定本部の財政金融局長を経まして、昨年八月一日から管財局長の職についております。
最近における中小事業部に対する申込みは相当活発になつておりまして、従来見返り資金の制度で日本銀行の資金局を通じました資金が、いわゆる今までの代貸しの制度をもつてしてはなかなか順調に行かなかつた。しかしながら開発銀行の中小事業部を新設して見返り資金を引継ぎまして、あるいは政府資金その他の関係のものを流すことにおいて最近相当活発になつております。
それは大体はやはりアメリカの例かと思いますけれども、アメリカにもこの問題は沿革的にたいへんむずかしいことがあるらしいので、まず国税局、通貨管理局、国債局、主計局、外国資金局、そういうようなところ、並びに特殊な金融機関からとるような場合、そういうのが除外されておるので、やはりそれに似たような標準になると思いますけれども、制限的にやりたい、そう思つております。
さらに昨年のボーナスは五千万円の増額がそのまま削られたり、あるいは資金局並びに銀行協会を通じてあそこに二十億計上しており、本年度の予算の中に五億という頭を出して来ておつたのも、これも大蔵省から削られて、昨年は日本銀行から三十五億という国庫納付金の予定が、五十一億三千万円にふえたのは、大蔵当局の努力の結果でありまするが、とにかく日銀それ自体も非常に自粛をさるべきであるということは、大蔵大臣も私たちもともに
します協議会のようなものを内閣に非公武につくりまして、これによりまして日本旅館及びホテルに関しまして、現有の施設を幾らか手を入れまして、外客がとまれるような設備にいたしたい、こういう希望のもとに、金融擬關資金融通準則中の産業資金貸出し優先順位を、従來旅館業は丙種でありましたのを甲に準ずるということに引上げをしてもらいまして、これを大蔵省銀行局長から各財務局長あてに通牒してもらうと同時に、日本銀行の資金局
これとそれから今年から始まりました見返資金からの中小企業への融資、これは日本銀行の資金局が相当しておりますが、委員長如何でございましようか、資金課長を連れて参りましたがその方から簡単に説明して貰つたらどうでしようか。
○参考人(國安信夫君) 証人ではございませんが資金局の國安でございます。先程から融資準則の話がございましたのでちよつとこの席をかりて御説明して置きます。
齋三君 全日本中小工業 協議会中央副委 員長 中島 英信君 全国問屋協会常 務理事 赤司 篤俊君 商工中央金庫理 事 安田 元七君 日本銀行融資斡 施部長 市田 禎藏君 日本興業銀行中 小工業部長 永井 三郎君 東京信用保証協 会専務理事 田中 猛君 参考人 日本銀行資金局
それで大丸の里見さんという社長さんにお願いをいたしまして、この方は御承知の通りのようでございますから、日本のクリスト教信者として、典型的な方であるということを関係方面の方に言つて頂きまして、そうして里見勝三さんにこのことを話しまして、從つて里見さんが取締役会長をしていられる白木屋に話をしまして、東京は白木屋、大阪は大丸という二つの線で、我々が日本銀行資金局に行つて個々の事情を説いて、大丸、白木屋その
これに出席した金融関係の者は農林中央金庫の監理第一部長遠藤匡輔君、復興金融金庫融資第三部長尾屋義人君、総務部総務課長愛知良一君、安本財政金融局佐藤哲彦君、日本銀行資金局復興金融課長西園寺不二男君、営業局調査役大橋義策君、水産廳漁政課農林事務官藤森君、同次長藤田巖君等が出席をいたしたのであります。